昔からの店々が軒を連ねるレトロな来民(くたみ)の町並みに、藍染めの日除けのれんがひときわ目を引く栗川商店。
今では全国でも珍しくなった「渋うちわ」を製造販売する創業明治22年の老舗です。
来民うちわの起こりは、江戸時代のはじめ頃、四国の丸亀の旅僧が一宿の謝礼にうちわの製法を伝授したとされ、肥後藩主細川忠利公 の奨励によって来民の主要産業となり、京都や香川と並んで、日本三大産地の一つに数えられていました。
大正末期から昭和10年頃にかけては、1年に500万本ものうちわが生産されており、九州一円はもとより、朝鮮・台湾・満州まで販路を 伸ばしていたとか。
来民は、390年もの歴史と伝統を受け継ぐ、日本有数のうちわの産地だったのです。
最盛期には16軒でうちわを製した 来民の町も、時代とともに姿を変え、今でもうちわ製造を手がけるのは、栗川商店1軒のみ。
しかし、和紙の表面に柿渋をひいた渋うちわは、 来民の代名詞となり、今も、伝統の技が受け継がれています。
来民渋うちわは、和紙に柿渋だけをひいた「白渋」と呼ばれる涼しげな薄茶色。
使い込むほどに渋が変化して深みのあるいい色艶になります。
柿渋には、がら柿 (豆柿)と呼ばれるタンニンを多く含んだ柿が使われます。
毎年8月中旬に採った 青い未熟な柿を丁寧につぶして寝かせ、3年から5年発酵・熟成させた柿の渋には、 優れた防虫効果があり、うちわを丈夫にして長持ちさせます。
来民渋うちわは、 まさに一生もの。
軽くてしっくり手になじみ、使えば使うほど味わいを増す独特の 素朴な風合いが多くの人に愛され、若い人の間にもファンが増えています。
来民渋うちわの骨に使う竹は、9月半ばから翌年2月までに切った3年ものの真竹のみ。
大分産をはじめとする真竹を切って生のうちに さばき、寒の頃までに編み上げます。
幅2センチ前後の竹を裂いて放射状にした見事な骨組みに手早く和紙が貼られ、乾かされた後、 「型切り包丁(なりきりぼうちょう)」と呼ばれる刃物で手際よく切り抜かれてゆきます。
和紙の張り方は、「元張り」という骨全体に 和紙を張る方法で、骨がすっぽり隠れてしまいます。
竹の節落としから仕上げの渋引きまで、18段階にも及ぶ工程は、今でもすべてが 手作業です。
和紙部分に柿の渋を塗り重ねた渋うちわは、乱暴に使わなければ100年以上もつといわれます。
これは、物の乏しかった時代の人の知恵が生んだ素晴らしい工夫です。
長寿を誇り虫が付かない ことから、来民の渋うちわは縁起物として喜ばれているのだとか。
猛暑続きの中、節電が叫ばれる 日本。
人間らしい暮らしをもう一度見直し、うちわの良さを再発見するいい機会かもしれません。
来民渋うちわから送られるやさしく涼やかな風が、遠い夏の日の心地よさへといざなってくれる ことでしょう。
栗川商店 仙扇 sensen 渋うちわ 和紙部分に柿の渋を塗り重ねた渋うちわは、乱暴に使わなければ100年以上もつといわれます。
これは、物の乏しかった時代の人の知恵が生んだ素晴らしい工夫です。
長寿を誇り虫が付かない ことから、来民の渋うちわは縁起物として喜ばれているのだとか。
猛暑続きの中、節電が叫ばれる 日本。
人間らしい暮らしをもう一度見直し、うちわの良さを再発見するいい機会かもしれません。
来民渋うちわから送られるやさしく涼やかな風が、遠い夏の日の心地よさへといざなってくれる ことでしょう。
サイズ 250 × 365mm(持ち手130mm) 生産 日本 材質 和紙(柿渋で仕上げ)